亰英次郎様|震災から15年に寄せたメッセージ

亰 英次郎 様 みちのく腹話術の会代表・元仙台市太白消防署長・初代仙台市地震防災アドバイザー

震災のときのこと

 震災が起こった時、私は仙台市青葉消防署3階事務室で勤務中でした。地震の揺れが始まった途端「地震だ、身を守れ」と叫んでいたことをハッキリ覚えています。揺れは収まるどころか段々と大きくなりました。消防署は1階が消防車の車庫なので壁・柱が少なく建物が崩れると思うほどで、揺れが治まったと思ったらまた大きく烈しい揺れとなり5分以上続きました。

大災害時は119番が不能で消防署毎独自に活動することにしていましたので、管内の災害対応や警戒に当たりました。次の日の夜明けから津波の救助そして数ヶ月間遺体の捜索にも当たりました。

はせがわファミリーとのつながり

 はせがわファミリーとの出会いは、震災の年の6月ごろの一本の電話でした。ユネスコ活動でお世話になった東京の吉岡さんから30数年ぶりに連絡が来て、はせがわさんという画家の方が被災地応援に直接宮城に行くので協力して欲しいとのことでした。当時は、復旧の混乱期であり詳細は覚えていませんが、被災地支援ということで地元紙の河北新報はじめ知り合いの方々を紹介しました。その中で、たまたま河北新報の記者さんを通して私の腹話術の生徒だった気仙沼市立津谷保育所の千葉ふみ子先生とつながったことを後で知り驚きました。

 その後も、私の妻が園長を務めていた幼稚園での紙芝居ライブや防災関連イベントへの出演をはじめ、仙台市内で開催される展覧会でも知り合いの方々にご案内しました。つながりとは不思議なもので、長い間疎遠だった一本の電話が繋いで15年です。紹介者の吉岡さんとはまだお会いする機会がありません!!

震災を通して

 震災を機に15年経った今でも防災についての講演や活動を継続しています。震災が無かったら消防職員を定年退職で防災から離れていたと思います。また東京で教師をしている長女が防災に目覚め、今学校防災を進めておりますが、これも震災の被災地宮城出身ということで被災地ボランティアを始めたことに起因しています。

15年となる今、思うこと

 15年経って人々の生活は震災以前に戻って来たと感じておりますが、家族など人的被害を受けた方々はまだまだ癒えておりません。防災活動も生活から段々と薄れています。私は、防災活動が生活の一部として生涯続けていくことになると思っています。これからは、気張らず楽しく防災活動を継続できたらと願っています。

スターリィマンから受け取った風船、私が届けたい風船

 スターリィマンから受け取った風船は「希望」と「未来」です。
大空に向かって上がる風船は、自分の今置かれている所から前に進むための希望そして未来と心が広がっていく気持になりました。

 これからは、子どもや孫を含めた若者たちに、「夢」と「希望」そして「未来」の風船を届けていきたいと思っています。時間的、肉体的に将来の時間がある人たちに、大変と思う困難を乗り越えるものは、楽しい夢と希望を未来に求めて進んでほしいです。

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