渡辺 雅史 様 高田松原を守る会 理事|岩手県陸前高田市
震災のときのこと
震災による津波で陸前高田市は壊滅的な被害が生じました。多くの住民が犠牲となり、建物が破壊されましたが、何よりすべての金融機関、コンビニ、ガソリンスタンドが被害を受け、被災者だけではなく、私のような内陸部で建物被害がなかった住民も大変不便な生活を余技されました。車へのガソリン給油のため、隣町のスタンドで2時間くらい並んだりしました。また、停電や断水にも見舞われ、電気や水のありがたさを改めて感じました。
また、私の身内には幸い犠牲になった人はいませんでしたが、家族が行方不明の方はご遺体を探しに3か所の遺体安置所を回って捜し歩いたとのことで、ガソリン不足の非常に過酷な中、胸が詰まる思いがしました。
そんな中、高田松原で奇跡的に残った一本松は、今でこそ希望の象徴と言われていますが、当時この一本松の保護を役所に要望した高田松原を守る会の会員は、市民から冷たい目で見られていたそうです。それでも造園業を営んでいた当時の副会長が、地盤沈下で海水に浸っていた一本松の根元から海水をポンプで汲み上げるため、毎日発電機に燃料を補充していたということで、一本松の一番の恩人だったと言えます。こうした努力も虚しく、一本松は残念ながら枯死してモニュメントになってしまいましたが、陸前高田を有名にしてくれたという意味では、本当に希望の象徴だったと思って感謝しています。
はせがわファミリーとのつながり
2016年10月に気仙沼のリアスアーク美術館で、はせがわいさおさんの作品に出合ったのがきっかけで、以来関わりを持たせていただいています。当時拝見した奇跡の一本松とうごく七夕の絵が、メルヘンチックでとてもきれいに思えたのが印象に残っています。
また、市内の複数個所にこの奇跡の一本松の作品がラッピングされた自販機が設置されていますが、市内の名物寿司屋の大将が店の脇に設置されたことをとても喜んでいたので、多くの人に愛される作品だと思いました。
震災を通して
陸前高田市は震災後、多くの自治体や企業などから多大なご支援をいただきました。本当に感謝しています。震災をきっかけに、名古屋市やアメリカのクレセントシティ、それからJ1の川崎フロンターレ、プロ野球の楽天イーグルスなどと、震災前では考えられなかった交流が生まれました。また、新たに整備された道の駅には多くの観光客が訪れており、市内には若い移住者も増えています。今後は震災後に新たに整備されたスポーツ施設や、市立博物館などの文化施設などを活用することで、関係人口がさらに増えることを期待しています。
15年となる今、思うこと・伝えたいこと
東日本大震災は1000年に一度の災害と言われましたが、実は今後も日本海溝・千島海溝周辺で同規模の地震が起きる可能性があるとのことで、とても不安を感じています。昨年は隣の大船渡市で大規模な林野火災があり、今後もどこでどんな災害があってもおかしくないと思うので、一人一人が自分のいのちを守る行動を学ぶことが必要だと感じています。是非多くの方に被災地にある伝承施設などを訪れ、震災の事実を知り学んでほしいと思っています。
