被災地の未来を輝かす心の原風景9作品解説──絵と物語に込めた想い

震災後、悲惨な被災地の現状が次々と報道される中、
私はテレビに映し出された一本の松の木に、
大きく心を揺り動かされました。
それが、陸前高田の「奇跡の一本松」でした。
7万本あった高田松原のうち、
たった一本だけ残った松の木の姿は
希望の象徴のように思え、
ただひたすら絵筆を走らせ描いたのが上記の作品です。
この作品を色々な方にお観せしたところ、
予想以上の大きな反響をいただき、
そこから新たな創作の着想を得ました。
震災のことをスターリィマンの作品で表現し、
形として残すことで被災地に心を寄せていただいたり、
少しでも復興を支える力になれればと、
震災から二年となる2013年の3月までに、
スターリィマンの風船と同じ9作品の
絵とお話を描いていくことに決めました。
9作描こうと決めて創作を始めた当初は、
活動と両立させながら最後まで
描き続けていけるのだろうかと
正直不安に思うこともありました。
しかし、毎回完成を楽しみに
待っていてくださっている方々の応援や、
作品に描いた地域の方々が涙を浮かべながら
ふるさとへの想いを語ってくださったり、
子どもから大人まで年齢を問わず
真剣に作品を観て、何かを感じてくださったり、
そんな一つひとつが次の作品を生み出す
大きな励みとなりました。
「描いてよかった」と本当に思いましたし、
画家として、何て幸せで有り難い経験を
させていただいたのだろうと感謝でいっぱいです。
9作品が完成するまでの経緯と、
それぞれの作品に込めた想いと共に
私たちが被災地で観て、感じてきたことを
共有していただけたら幸いです。
1.夢をつなぐ命のきずな〈岩手県陸前高田市〉

荒野の中、一人立つ松の姿が目に飛び込んできた瞬間、心臓を鷲づかみにされたような衝撃が走りました。七万本の松が流された中で、たった一本だけ残った「奇跡の一本松」。スターリィマンが最初に風船を届けに行った場所の物語です。
被災地の希望の象徴
奇跡の一本松に夢を託して
スターリィマン紙芝居プロジェクトを2011年の7月7日にスタートさせてから、初めて被災地で活動を行った際、8月1日から3日に陸前高田を訪れました。
荒野の中、一人立つ松の姿が肉眼に飛び込んできた瞬間、心臓を鷲づかみにされたような痛みと衝撃が走りました。目の前まで行き、松の木と向き合うと、声にならない心の叫びをあげながら必死に何かを訴えているように思えました。塩害で痛々しい姿になっていましたが、とても力強い生命力を感じました。この時、一本松から受けとったメッセージを作品に込めて描いたのが、第一作目の「夢をつなぐ命のきずな」です。
その後、震災を語り継ぐシンボルとしての大事な役割を与えられた一本松。これからも人々の心の中で生き続け、ふるさとの幸せを見守り続けてほしいと願っています。

2.愛しき故郷よ 未来からの贈りもの〈宮城県気仙沼市〉
津波の爪痕が残る中、なぜかそこだけ凛と立っていた杉の木立。ほんの一瞬、車窓から見ただけなのに、その姿が心から離れませんでした。みんなで手と手を取り合い、寄り添い、懸命に津波から耐えたように見えた木々たちの物語です。

手と手を取りあい共に
故郷を思う心が未来に進む一歩へ
2011年8月4日。気仙沼大島から気仙沼市内に向かうため、国道45号線を南下していた時、ある風景が私の目に留まりました。周囲は津波による大きな爪痕が残る中、なぜかそこだけ杉の木が密集して立っていたのです。
車を停めて近くまで行ってみたかったのですが、次の紙芝居ライブの時間が迫っていたので、急いで助手席の祐希に写真を撮ってもらいました。
いざ気仙沼の作品を描こうと自分の中で思い浮かべた気仙沼のイメージから色々と構想を練っていると、どうしても8月に出会った杉の木々たちの姿が心から離れません。ほんの一瞬、車窓から見ただけでしたが、凛とした杉の木々たちの姿が、私の脳裏に深く焼き付いていました。
「もう一度、あの場所に行きたい」そう思っていたところ、12月に気仙沼の子どもたちにクリスマスプレゼントとして紙芝居をお贈りする機会をいただき、杉の木々たちと再会を果たすことが出来ました。陸前高田の一本松は、他の松たちが一本の松を必死に守ったように感じましたが、この杉木立ちは、みんなで手と手を取り合い、寄り添い、懸命に津波から耐えたように見えました。
そして、最初に横を通った時は、天候が悪く遠くまで見えなかったのですが、木々たちの左側には活動で訪れた気仙沼大島が見えることが分かりました。
お話には、少しでも気仙沼らしさを表現できたらと、地域の方々からお聞きしたエピソードや図書館で調べていただいた昔の資料などを盛り込みました。
再び2012年の5月に気仙沼を訪れた時、残念ながら杉木立ちはバッサリと切られていました。復興のための一歩として、本当は喜ぶべきことなのかもしれませんが、どうしても悔やまれます。
段々と建物が立ち並び、木立があった場所は国道から見えなくなってしまいましたが、今も横を通る時は必ず木立ちの面影を探してしまいます。

3.誇りは輝く光になって 〈福島県会津若松市〉

震災の直前、鶴ヶ城は戊辰戦争当時の赤瓦に再建されたばかりでした。桜まつりは中止、風評被害で観光は大打撃。それでも会津の方々は避難してきた人々のために一丸となって尽くしていました。脈々と受け継がれてきた会津の魂を描いた物語です。
遙かなる歴史に育まれた
失われることのない会津の精神
震災から一ヶ月余り経った2011年4月16日と17日に、私たちは会津のお菓子屋さん「太郎庵」さんのご縁で、会津若松市と喜多方市の避難所で紙芝居のライブをさせていただくことになりました。まだ紙芝居プロジェクトが本格的に動きだす前で、紙芝居も試作の段階でしたが、少しでもふるさとの皆様に元気をお届けすることが出来たらという想いでライブを行いました。
その時、会津の方々は原発事故の影響で避難されている多くの方々を支えておりました。
実は、震災が起こる少し前に、鶴ヶ城は戊申戦争当時の赤瓦に再建されたばかりで、四月には盛大な桜祭りが行われるはずでしたが、止むを得ず中止の事態に。その上、風評被害で観光は大打撃を受けている状態でした。それにも関わらず、会津の皆様が一丸となってボランティア活動に励む献身的な姿に、私は脈々と受け継がれてきた会津の魂を感じました。
岩手、宮城と描き、続く第三作目には、福島の桜を描こうと以前から決めており、初めは、いわき市久之浜で塩害に遭いながらも震災の年の秋に咲いた桜の花を題材にしようと進めていました。
しかし、遠く離れているふるさとに私が今出来ることは、愛するふるさとの誇りと感謝を作品に込めて描くことだという思いが強まり、急遽描き直すことにしました。
お話は、会津若松市や喜多方市の避難所の皆様に、紙芝居ライブをさせていただいた時のことや、町の様子を思い浮かべながら創作しました。
2012年以降は、毎年桜の季節になると会津を訪れ、桜を愛でられることの喜びを噛み締めています。

4.夢の道しるべ 〈宮城県南三陸町〉
南三陸ホテル観洋さんの窓から見える海は、青く穏やかで津波があったなんて嘘のよう。その海に浮かぶ小さな島に心惹かれ、思わずメモ帳にスケッチしました。海の神様が祀られた荒島と、海と共に生きる人々への祈りの物語です。

海と人々の輝く明日を導く
ふるさとを照らす祈りの光に包まれて
初めて南三陸町を訪れたのは、2011年の8月4日。ジャーナリストをなさっている私たちの友人の瀬戸川礼子さんが、南三陸ホテル観洋の女将・阿部憲子さんと大変親しく、震災後に取材に行かれた際のお話をお伺いして、是非紙芝居をお贈り出来たらと、ご紹介いただいた事がきっかけでした。8月4日の夜にホテルに宿泊し、翌日ホテルにある託児所マリンパルさんで紙芝居ライブをさせていただきました。
震災後、ホテル観洋さんは避難所として600名以上の方を受け入れるなど、被災された人々の拠り所となり、復興に大きく貢献されました。私たちが最初にお伺いした時も、ホテルにはたくさんの方が避難されていましたが、驚くことにホテル内に悲壮感は一切なく、明るく活気ある雰囲気に包まれていました。そして、津波の惨状を見て大きな衝撃を受けていた私たちの心を、阿部女将さんや従業員の皆様の笑顔がホッと和ませてくださいました。
お部屋の大きな窓から見える海は、青く美しく穏やかで津波があったなんて嘘のよう。眺めているうちに、左側に浮かぶ島に心惹かれ、思わずホテルのメモ帳にスケッチしました。
帰宅してから調べると、この島は「荒島」という島で、島には荒嶋神社という弁天様や金比羅様など海の神様が祀られている神社様があると知り、思わず鳥肌が立ちました。
その後、荒嶋神社をお守りしている上山八幡宮の工藤禰宜ご夫妻や、南三陸町の観光協会の方に色々とお話をお聞かせいただき、過去にもチリ地震で被害に遭ったことや、毎年元旦には初日の出を拝むために多くの方が訪れることなど、海と共に生きる地域の方々にとって本当に大切な場所であったことを知り、この島を題材に作品を描くことに決めました。
南三陸町を眩しく包み込む朝日が、人々の未来を照らし、夢を叶える道へと導く光になりますようにと願いを込めて、「夢の道しるべ」とタイトルを付けました。

5.鎮魂のうごく七夕まつり 〈岩手県陸前高田市〉

「亡くなられた方たちの御霊を供養するためにも、こんな時だからこそ祭りをやるんだ」──山車も笛も太鼓もほとんど流された中で、人々は立ち上がりました。完成した作品を妻と娘に見せた時、二人とも言葉を発することができなかったほど、深い祈りに包まれた物語です。
失われつつある日本の伝統行事
亡くなられた方々の御霊への祈り
「うごく七夕まつり」は、陸前高田に伝わる夏の伝統行事で、初盆にあたる8月7日に、色とりどりの吹き流しなどで飾り付けた山車を引きながら町中を練り歩き、亡くなられた方々の御霊をお迎えし供養するためのお祭りです。
私たちがこのお祭りを知ったのは、2011年の8月に陸前高田を訪れた時。当時、大石公民館の敷地内には「復興の湯」という震災後に作られた共同浴場があり、公民館では地域の方々が間近に迫ったお祭りに向けて山車につける七夕飾りを作っていました。その中のお一人が、親切に色々と教えてくださって、私たちはお祭りにとても興味を持ちました。
それから数日後、テレビや新聞でうごく七夕まつりの様子が伝えられました。その幻想的な情景に心打たれ、鎮魂の意味も込めて描こうと決めました。
作品の創作に取り掛かる直前の2012年の6月2日から5日に、活動で陸前高田を訪れることになり、保育園さんとのご縁をつないでいただいた「きのこSATO」の佐藤博文さんに、お祭りに携わっている人にお話をお聞き出来ないかご相談しました。そして、佐藤さんがご紹介いただいた方は、何と「復興の湯」でお話を聞かせてくださった菅野さんだったのです! 奇跡のような再会に驚くと同時に、感動で胸がいっぱいになりました。
いよいよ作品が完成して、妻と娘に作品を見せると、二人ともすぐに言葉を発することが出来ないくらい、作品全体が深い祈りに包まれていたと言ってくれました。
このお祭り以外にも、被災した地域の伝統文化やお祭りを復興させるための様々な取り組みが行われています。被災地だけでなく、日本各地で伝統文化の継承が危ぶまれる中、失われつつある日本の財産を今一度見つめ直す必要があることを強く感じる機会となりました。

6.望郷の夢の輝き 〈宮城県気仙沼市〉
絵に描かれている町並みは、あえて震災前の姿です。人々の記憶の中に生き続ける風景と、いつか復興を遂げた未来の風景をつなぐ作品にしたかった。安波山から港を見下ろした時、想像を絶するほど変わり果てた町に言葉を失いました。それでも沈まない太陽を描いた物語です。

沈まぬ太陽に夢を誓う
活気溢れる気仙沼の港をもう一度
この作品は、気仙沼の安波山から夕陽色に染まる港を見下ろした風景です。
安波山という名前は、「航海の安全と大漁を祈願する」ことに由来し、まさに港町・気仙沼を象徴するシンボルの山で、古来中国の風水思想で重なる山並みを龍脈と呼んでいたことにちなみ、龍のオブジェなどが置かれています。
震災当日、第一波の津波で気仙沼湾の入り口にある燃油タンクが破壊され、そこから流れ出した重油やガソリンに引火して燃え広がって、瞬く間に気仙沼湾は火の海に……。瓦礫に燃え移った火が気仙沼大島や町中にも流れ着き、一週間近くもずっと燃え続けました。テレビで見た火災の様子を思い出すだけで、今でも恐怖で背筋が凍りつきます。
実は、絵に描かれている町並みは、あえて震災前の状態を描いています。人々の記憶の中に生き続けるかつての気仙沼の風景と、いつか復興を遂げた気仙沼の未来の風景をつなぐ作品となって、皆様の心に希望を灯し続けることが出来ればと思ったからです。
そして、夕陽も実際にはもう少し右側の方に沈むのですが、気仙沼をいつまでも照らし続ける沈まぬ太陽を表現したかったため、このような構図にしました。
作品を描いてすぐ後に活動で気仙沼を訪れ、スターリィマンのように安波山から港を見下ろした私は、ショックで言葉を失いました。覚悟していたつもりでしたが、想像を絶するほど町の風景が変わり果てていたからです。安波山の龍たちは、燃えゆく気仙沼をどんな思いで見つめていたのでしょうか。
今では、さんまやかつおなどの水揚げも行われるようになり、段々と活気を取り戻しつつある気仙沼を、龍たちはこれからも温かく見守り続けてくれることでしょう。

7.未来へつなぐ幸せの架け橋 〈宮城県石巻市〉

石巻に向かう車の中で、日和山から大きな虹のアーチがかかりました。しかも二本。三人で歓声を上げながら走り続けると、虹の先端は子どもたちのいる方向へ降りていきました。その日出会った子どもたちの笑顔と、万石浦に架かる希望の虹の物語です。
子どもたちの笑顔を守りたい
万石浦に架かる光の橋を信じて
作品の中でスターリィマンが立っている万石橋は、万石浦湾の入り口に架かっています。
万石浦は、石巻市東部の牡鹿半島の西側に位置する奥の海とも呼ばれた海跡湖で、仙台藩の第二代藩主・伊達忠宗が「ここを干拓すれば一万石の米が取れるだろう」と言ったことに由来し、万石浦と呼ばれるようになったそうです。
牡蠣の垂下式養殖方法を生み出した沖縄県出身の宮城新昌氏により、牡蠣養殖最適の地として開拓され、世界一の種牡蠣産地として有名な場所です。今や世界の食用牡蠣の80%が石巻にルーツを持つとも言われています。
この作品を描くきっかけとなった、一生忘れられない素敵な出来事があります。それは、2012年10月24日に南三陸から石巻の万石浦小学校の児童クラブさんに向かって、車を走らせていた時のこと。石巻市内に入って少しすると、左手の日和山から車道の方へ大きな虹のアーチがかかりました。しかも、虹は重なり合うように二本並んでいたのです。3人で歓声を上げながら走り続けていると、虹の先端は児童クラブさんの方向へ降りていきました。その様子は、子どもたちの幸せな未来を暗示しているかのようでした。
子どもたちに虹のことを話すと、「僕たちも見たよ!」「すごくきれいだったね!」と目をきらきらさせながら答えてくれました。その時の嬉しそうな子どもたちの姿が心に深く残り、彼らとの思い出と石巻を象徴する風景を描こうと決めたのです。
震災による数々の影響は、厳しい現実として、子どもたちの夢や希望に影を落とすかもしれません。
しかし、彼らの笑顔が儚く消えることなく、作品の中の虹のようにいつまでも輝き続け、幸せな未来に向かって力強く生きていってほしいと心から願っています。

8.感謝を受け継ぐ山田大名行列 〈宮城県気仙沼市〉
「是非、観に来て描いてください!」──地域の方の一言から生まれた作品です。津波で衣装を流されても、お祭りの日が近づくと作り始めずにはいられなかった人々。戦争や震災ですべてを失っても、決して失われなかったふるさとへの感謝と祈りの物語です。

ここに生まれてきた誇りを胸に
脈々と受け継がれる地域のきずな
この作品の題材は、気仙沼の本吉町に長く受け継がれている無形文化財・山田大名行列です。
きっかけは、2012年の5月に本吉町の皆様に「被災地の未来を輝かす心の原風景」の朗読会を開催していただいた時のこと。まだ四作目の南三陸の作品までしか完成しておらず、会の最後に「次は陸前高田のうごく七夕まつりを描く予定なんです」とお話しした時、「この地域にも山田大名行列というお祭りがあるんです。本当は震災の年にやるはずだったのが、今年の10月に行うことになったんです。是非、観に来て描いてください!」と地域の方におっしゃっていただいたことでした。
お祭り当日の10月21日(日)の朝。大名行列の出発地である「勢喜多」という世話宿の場所を訪れると、昔にタイムスリップしてしまったような、のどかで美しい田園風景が広がっていました。
その中を、小学生から大人の方々が長い行列をなし、掛け声を響かせ進んで行きます。
華やかな衣装は、それぞれの家に代々残るもので、津波によって衣装を流され、自分はお祭りには出られないと諦めていた方が、お祭りの日が近づくといてもたってもいられず、衣装を作り始めたとのお話をお聞きして、本当に胸が熱くなりました。
行列の中には、以前紙芝居の活動で出会った男の子がいて、小学生になって立派になった姿で何度も私たちに手を振ってくれたり、保育所の先生がわざわざお赤飯を炊いて持ってきてくださったりと、生まれ故郷のような皆様の温かな歓迎に涙が出るほど感激しました。
このお祭りのおかげで、自然ときずなが育まれ、震災が起こった時も、すぐに地域の方々が一丸となって的確な対処が取れたというお話をお伺いして、いかに常日頃から地域社会のつながりを築いていくことが大事かを学ばせていただきました。
戦争や震災で全てを失い、深い悲しみを負っても、決して失うことのなかったふるさとへの感謝と祈り。これこそ、人々の未来を輝かす心の原風景だと思いました。

9.福島から春爛漫の贈りもの 〈福島県福島市〉

9つの作品の最後に描いたのは、生まれ故郷・福島の春。9作のうちこの作品だけ、9つの風船がすべて描かれています。日本中、世界中への感謝を込めて──離れていても同じ空の下、みんな心ひとつにつながっていることを届けたかった物語です。
福島からありがとうを込めて
世界中にふるさとの温かな春を
震災から二年目となる2013年の3月11日に向けて描いた最後の作品は、日本中、世界中の方々への感謝の気持ちを込めて、私の生まれた福島の春を題材にしたいと思いました。そこで選んだのが、福島随一の花の名所である花見山と、山々に囲まれた雄大で美しい福島の風景です。
長く厳しい東北の冬。特に震災後は、一斉に咲く花々や暖かな日差しに心癒され、救われた方も多いことと思います。そんな春の温もりをいつも感じていただきたい、そして被災された方々だけでなく、被災地の復興を願う方々の心にもお届けしたい、そんな願いを込めて描きました。
また、9作のうち、この作品だけ9つの風船をすべて描きました。白鳥に導かれるように飛んでいく風船たちを見上げるスターリィマンたち。離れていても同じ空の下、みんな心ひとつにつながっていることを、この作品を通して思い出していただけたら幸いです。

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